ブログ 庭あそび

創作門灯作り2

 

9月の下旬ともなると、暑さも和らいで気持ちのいい季節となってきましたね。

 

こんにちは、2度目の投稿となります。夢創園の職人の一人、坪井です。

前回の続きで、枕木部分に模様をつけていきます。

 

 

 

 

 

―――チョウナ(孫の手みたいな大きな彫刻刀)やスプーンのような彫刻刀などいろいろ引っ張り出して、

どのような模様にするかお施主様と親方と、時々ぼくとで模索中―――

 

 

 

 

 

 

話し合いの結果、画像左上の模様をつけていくことで決定!

物自体が大きい上、少し細かい模様のため、今回はベルトサンダーという電動やすりで削り彫っていきます。(※二、四枚目上部の青い機械)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラインがずれないようにチョークで線を引いてから、ひたすら削っていきます。

模様に立体感がでるまでそこそこ深く削らなくてはいけないのですが、やはり栗の木!硬いかたい(涙)

また削りとるので粉まみれになりながらの作業となりました(涙)

ですが私、こういう細かい作業大好きです。(笑)

 

 

 

 

 

 

時間を忘れて削り続けること半日をかけ・・・

 

 

表・・・ラインがそろっているときれいに見えます。

 

 

 

 

裏・・・表とは違ったトラ柄のような表情を見せてくれました。

 

 

 

 

側面・・・反対側も同じです。

 

 

 

 

無事作業完了しました!

我ながらうまくいきました。他所にはないものが出来上がりそうです!

 

 

 

次回はついに仕上げです。この一本の柱がどのような姿になるのでしょうか(^^)      坪井。

2017.09.20 by 猪鼻 一帆

和歌山城の石垣

盆に和歌山に行ってきた話の続き

京都に帰る前に和歌山駅から数分の所にある「和歌山城」に寄って行くことにしました

和歌山城は戦時中に焼失し、今ある姿のお城は再建築されたものなんですね。

中は観光向けに改装されており、城の瓦や当時の武士の甲冑のレプリカが飾られてたりと、美術館の様な感じでした。

 

 

最上階からは和歌山市街を見渡せます

 

 

◆和歌山城の石垣

個人的に一番気になったのが石垣

和歌山県と言えば「青石」の産地として有名なんですけど、その青石がいたるところでふんだんに使われていて驚きでした。

一番初めの建設が天正13年(1585)当時は緑色片岩(紀州青石)を中心とした結晶片岩を用い、加工をせず自然石のまま積まれた石垣。(野面積み)

加工をしていないので石の凹凸が出す影が立体感をだし、石の粗さが迫力をだしますね。

 

慶長5年(1600)この頃に城の大規模改修があったようで、新たに積まれた石垣もまた全然表情が違っています。

石材は結晶片岩から砂岩(和泉砂岩)へと移行し、石積みはこの頃には加工を施した積み方で、石を「接ぎ」合わせて積む「打ち込み接ぎ」と言う積み方。

前日行った友ヶ島の虎島に石切場がありましたが、ここの石積みはそこから採っていたとか。間近で見られなかったのが悔やまれます。

元和5年(1619)に更に城の増築がされ、石積み技法もまた変わっています。

「打ち込み接ぎ」よりも精密に加工して積んだ「切り込み接ぎ」の石垣になり、石の合端もきちっと合ったものなっています。

 

最初の建築からおよそ50年程ですが、こうも石垣の技法が変わるものなのですね

和歌山城だけで3種も異なる石積みが見れると思いませんでした。

個人的には建設当初のの自然石をそのまま積んだ石垣が一番好きな雰囲気でした。

 

 

◆その他の写真

一面に敷かれる青石

産地だからこそできる贅沢な使い方だなぁなんて思って見ていました。

御橋廊下

江戸時代には藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた橋。

斜めに架かる橋の為、足元には滑り止めの段差が付いていました。

 

西之丸庭園・茶室

池の色がアレですけど、滝組のある良い感じのお庭でした。

かなり段差のあるお庭で、段差のある飛び石を上がった先には待合があったり。

茶室までの距離がそこそこあって、段差もかなりあったので茶庭としては珍しい感じでした。

 

 

◆またいずれ~

初めて和歌山に来たんですけど、観光どころを知らべてみるとやはり寺院が多い印象でした。公共の交通機関よりも車であちこち回った方が良さそうな感じもします。

今回は友ヶ島に行くのが目的だったので2・3泊で早々に帰ってしまいましたが、今度はまた別の機会にしっかりと時間を行ってみようと思います。

和歌山城はついで程度でしたが、その土地ならではのもが幾つも見れて勉強になりました。そういう視点で色々見てみたもっと面白いかもしれませね~。

 

記;西村



 

2017.09.17 by 猪鼻 一帆

創作門灯作り1

こんにちは。夢創園の職人の一人の坪井と申します。これから週一くらいの頻度で記事を書かせていただきます。

 

文章を書くのが学生ぶりなので、初めのうちはどうか温かい目で読んでいただけたらありがたいです(笑)

 

 

 

 

 

 

さて、今回は門灯作りを任せてもらいました。メインの素材は栗の枕木と御石のカズラ石です。サイズはほぼ同じ。

うまいことオスとメスに切り合わせてドッキングさせて一本の柱にします。

 

 

始めに真ん中に同じ幅、長さの線を引いて。

カズラ石はその線の内側をくりぬきます。石切用の刃をつけたサンダー(グラインダー)でちゃちゃっと挽きめを入れて、石ノミでこつこつはつって。…思ってたより早く完了!

 

さ、次は枕木。引いた線の外側を取っ払います。電動丸ノコで即完了~!

 

 

 

 

 

・・・・・と思いきやぜんぜん刃が芯まで届かない。泣く泣く普通のノコギリでかったいかったい栗の木を挽く羽目に…。

(この枕木の硬さには次回も泣かされます…笑)

 

 

 

 

 

 

 

ともあれ、膨大な時間とカロリーを消費し、無事ドッキング成功!

画像で若干ネタがばれてしまってますが、次回は扁平な枕木に模様をつける様子を書かせていただこうかと思います。

 

坪井。

 

 

 

 

2017.09.12 by 猪鼻 一帆

友ヶ島へ

夢創園の職人の西村と申します。 これから私も夢創園のブログに定期的に書かせて頂きますのでよろしくおねがいします

 

今回はお盆休みのお話し 8月のお盆の休暇で和歌山に行ってきました。 友人から教えてもらい

以前から行きたいと思っていた「友ヶ島」に行ってきました。

地ノ島・虎島・神島・沖ノ島の総称で淡路島と和歌山の加太の間にある島群で 明治時代から第二次世界大戦まで軍事要塞として使用されていたようです。

 

 

◆友ヶ島汽船・船乗り場

JR和歌山市駅から南海加太線に乗り換え、加太駅から徒歩10分ほどで着きました。

この赤い橋の下に友ヶ島汽船の船乗り場があります 始発は9時からと記載されていたのですが、お盆の影響もあり物凄いひとの数で、臨時ですでに2船も出ていたとか

 

 

◆友ヶ島に到着

10~程で島に着きました。船から島の荒々しい岩肌や巨大な木々たちが垣間見え、散策が楽しみでなりませんでした

 

 

◆第五砲台跡

船を下りてから一番近くにある砲台跡地

島の西側にあり、海峡にさしかかった船舶を待ち伏せ・真横からの砲撃を目的に作られれたそうです。

 

 

◆高台からの眺め

第五砲台跡から第三砲台跡に行く道中に展望台があり、そこから見渡せる景色は絶景でした。 辺りを一望できるため敵船の進行なども確認できるでしょうし、軍事基地として利用したのも分かる気がします。ここからは対岸に淡路島が見えました。

 

 

◆第三砲台跡

一番状態が良く残っているこ砲台跡地で、ドラマの撮影や観光用の写真用によく使われる場所のようです。

かつてはこの島主力の砲台が配置されていたとか

砲台の弾薬庫

施設の上から生えた木々や覆いかぶさるツルなどで自然との一体化した様が何とも言えない良さを醸し出しています

植物の緑がより一層レンガの赤を引き立たせています。

近くに地下倉庫に降りれる階段もありました

階段を上がった先にも施設があるようですが、今回は立ち入り禁止のロープが張られて行けませんでした…

明るく見えますがこれはカメラのフラッシュで照らされているので、実際には明かりの一切ない暗闇でした

一人で入るには中々怖かったです(苦笑

 

 

◆虎島へ

第三砲台跡を見た後、ここから島の東側末端の虎島に行くことにしました。

かつては虎島に向かう為の軍用道路がちゃんと設けられていたそうで、その名残の石積みが残っている箇所がみられます

斜面から生え、道を塞ぐようなに成長した大きな木々も多々あり中々歩きづらい場所も

森を抜けると荒々しい岩肌が露出した道に出ました。

虎島は眼前にあるのに潮が満ちていて渡れませんでした。

虎島は石切場として利用していたほかに、軍用の砲台が設けられていたそうです

また、この荒々しい地層を利用し修験道の山伏修行の場としても使われているとか

地質学的にも面白い場所なようですし、私自身も仕事で石を扱いますので是非間近で見てみたかったです

角ばった地層とは別にざらざらな砂岩が露出している場所もちらほら

 

◆最後に

友人に教えてらうまでは、こんな島がある事は全く知りませんでした。

建物と自然が一体化し時の流れを感じさせるその様は、人の手ではすぐには作れない味がありました。

かつて戦争の為に作られた軍用施設なのであまり快く思わない方もいるかもしれませんが

こうして未だ状態も良く残っている事は大変貴重でしょうし、歴史を振り返り後世に伝える為にもとても重要な場所だと感じます。

 

島内には写真に載せてる他にも別の砲台跡等もありましが、今回は時間の都合と現在立ち入り禁止になっていることもあり行く事が出来ませんでした。

自然と歴史を感じるとても良い場所でしたので、次は別の季節に行ってみようと思います。

 

島内には宿泊施設もあり、キャンプ可能な場所も多くあるので大勢でのキャンプや島の散策をするのも面白そうです。

 

余談ですが、友ヶ島汽船(船乗り場)の近くに【満幸商店】と言う定食屋さんがあり

そこのメニューの、どんぶり一杯に零れそうなほど盛られたしらす丼がとても有名なそうで、帰りがけに寄ってみたんですが

お昼をとうに過ぎているにも関わらず2~30人ほど並んでいて驚きました。さすがに多すぎるので諦めましたが(苦笑

こちらも機会があれば行ってみようと思います

 

記:西村

 

◆その他写真

2017.09.10 by 猪鼻 一帆