盆に和歌山に行ってきた話の続き
京都に帰る前に和歌山駅から数分の所にある「和歌山城」に寄って行くことにしました
和歌山城は戦時中に焼失し、今ある姿のお城は再建築されたものなんですね。
中は観光向けに改装されており、城の瓦や当時の武士の甲冑のレプリカが飾られてたりと、美術館の様な感じでした。
最上階からは和歌山市街を見渡せます
◆和歌山城の石垣
個人的に一番気になったのが石垣
和歌山県と言えば「青石」の産地として有名なんですけど、その青石がいたるところでふんだんに使われていて驚きでした。
一番初めの建設が天正13年(1585)当時は緑色片岩(紀州青石)を中心とした結晶片岩を用い、加工をせず自然石のまま積まれた石垣。(野面積み)
加工をしていないので石の凹凸が出す影が立体感をだし、石の粗さが迫力をだしますね。
慶長5年(1600)この頃に城の大規模改修があったようで、新たに積まれた石垣もまた全然表情が違っています。
石材は結晶片岩から砂岩(和泉砂岩)へと移行し、石積みはこの頃には加工を施した積み方で、石を「接ぎ」合わせて積む「打ち込み接ぎ」と言う積み方。
前日行った友ヶ島の虎島に石切場がありましたが、ここの石積みはそこから採っていたとか。間近で見られなかったのが悔やまれます。
元和5年(1619)に更に城の増築がされ、石積み技法もまた変わっています。
「打ち込み接ぎ」よりも精密に加工して積んだ「切り込み接ぎ」の石垣になり、石の合端もきちっと合ったものなっています。
最初の建築からおよそ50年程ですが、こうも石垣の技法が変わるものなのですね
和歌山城だけで3種も異なる石積みが見れると思いませんでした。
個人的には建設当初のの自然石をそのまま積んだ石垣が一番好きな雰囲気でした。
◆その他の写真
一面に敷かれる青石
産地だからこそできる贅沢な使い方だなぁなんて思って見ていました。
御橋廊下
江戸時代には藩主とお付の者だけが藩の政庁や藩主の生活の場である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた橋。
斜めに架かる橋の為、足元には滑り止めの段差が付いていました。
池の色がアレですけど、滝組のある良い感じのお庭でした。
かなり段差のあるお庭で、段差のある飛び石を上がった先には待合があったり。
茶室までの距離がそこそこあって、段差もかなりあったので茶庭としては珍しい感じでした。
◆またいずれ~
初めて和歌山に来たんですけど、観光どころを知らべてみるとやはり寺院が多い印象でした。公共の交通機関よりも車であちこち回った方が良さそうな感じもします。
今回は友ヶ島に行くのが目的だったので2・3泊で早々に帰ってしまいましたが、今度はまた別の機会にしっかりと時間を行ってみようと思います。
和歌山城はついで程度でしたが、その土地ならではのもが幾つも見れて勉強になりました。そういう視点で色々見てみたもっと面白いかもしれませね~。
記;西村