七十二候では二十六日から小晦日までを「麋角解(さわしかつのおつる)」と呼び、春に生えはじめ枝分かれした鹿の角が自然に折れる頃を指す。早くも待ち遠しい春にカラダを向けながら冬越えの支度をする。それは庭もしかじかである。
夏季の手入れから時間が経過した庭には、そこに差し込んだ光や飛来したものの痕跡、そして庭の植物たちの自由な葉ぶりや枝ぶりがあり、それらの生きた線(ライン)はこの庭にいろいろな交通や交換があったことを物語る。年の瀬に流されてその場所に帰ってきた庭師は、彼らの過ごした時間をなぞるようにその線に手を交えていく。
彼らが周囲の環境とやりとりした結果として、伸び、曲がり、分かれ、出合い、重ね、合わさった、その線の感覚にシンクロしていく。その中で行き詰まった部分や絡まった部分にだけ、鹿の角を折る寒風のように少し冷たく鋏を入れる。
「剪定はどこか介護にも通ずるばかりか、それを庭師は木に登る猿に戻ってやるんだから」と、剪定風景を見ていた通りすがりの人が残した言葉を思い出す。剪定は植物の機能的な側面や人間の美意識だけを以って行うものではなく、植物にありったけの触手を伸ばしながら彼らの自然な流れを読み、その巡りを良好にするために添うものである。今となってはそれがグルーミングや身繕いにやや近いものに思うときがあり、だから介護猿なのかと少し合点がいく。
鋏を入れる風景だけを切り取れば、剪定は「切る」という行為やその音ばかりが目立つようだが、実際のところは <透く> という感覚意識を指の先にまで働かせているものである。全体に対して異変を起こしている部分の枝を間引く。陽射しの角度を計算しながら下の葉にまで光と風が行き届くか、下苔には日陰を用意できているか。カラダがその場や木々に同調するまでは、頭で考える作業も随分と多い。
木から下りる昼休みは自分のパートナーである木の状態や周囲とのバランスを「離れた目」で観察することができる時間である。一本の木から何百何千に分かれる枝や、何千何万に広がる葉のすべてをケアすることは不可能であると知りながら、視点を変え視界を広く持てることは、道具を携えて木に登ることができる人間の世界へのやさしさなのかもしれないと思ったりもする。
冬空の下で <すく> のは庭師だけではない。同じ時期に同じリズムを共有する者に紙漉き屋がいる。紙屋は骨の髄まで冷やす水に手をさらしながら紙を漉く。どちらも <すく> のリズムの上に乗る仲間だ。
和紙を貼った障子から差し込む日月の灯りはやわらかく、障子越しの出会いは情景も恋情もゆさぶる。わずか一枚、半透明な膜がこちらとあちらの、わたしとあなたの間に張られることで安心感と期待感を醸しだす。これは葉の間、枝越し、垣根越しなど庭にも通ずるところである。
たとえば木の幹はそれだけでは力が強く、葉の隙間から覗けるくらいが頼もしい。石灯籠もまたそれだけでは存在感が強く、木々の間から顔を覗かせるくらいで期待が膨らむものである。日本庭園の中では特別な力を持つものだけで場所が独占されることはなく、個々のエネルギーを分散させながら周囲と関係することで「存在していく世界」を理想とする。
まず先にだれもが安心できる環境がなければその先の期待は生まれないどころか、強い期待や祈りが独立すると怖さや恐れに転倒してしまうことすらある。万物は全体と部分、実体と輪郭、表と裏、光と影と言った二面性を一体の中に秘めるものであり、日本文化はその両面を映す膜として <すく> のリズムを多義的なかたち(透・漉・鋤・抄・空く)に分散してきたのかもしれない。
今は靄かかる空に見え隠れする比叡の雪化粧。冬越えて春くれば霞の空におぼろ月。山も月もそれと直接対面するよりも別の何かを隔てて出会うことで想像的な因子が介入し、そこから意味が湧出する。見え隠れするところに期待と不安を同時に持っておくことは日本の生活文化が大切にしてきた感性であり、庭の中にも通ずるリズムである。
今年が隠れはじめ、翌年が見えはじめる年の瀬はいつも急流であるが、庭師はその流れに乗ってお世話をする庭を一軒一軒巡回できることもあって忙しさの中にも充実したものがある。庭をつくることは「帰る場所」が増えることと同義で、これほどフルサトを持てる仕事はなかなか稀有であり、大変有り難い気持ちに溢れている。
2024年12月26日(木) 京都にて
案内人 | 猪鼻 一帆
連レ人 | 星ノ鳥通信舎(編集)