十一、風土 – オアシス考

先日、砂漠の地・ドバイに遠征する機会があった。砂上に築かれた人工都市で地に足がつかぬまま、目まぐるしい数日を過ごしたが、異国の地で <庭> のありかたにも直結する「風土」というものを考えさせられた。

ひとつには、砂漠の民は「小川」や「渓流」という景色を経験として持ち合わせておらず、渓流を模した庭園にホワットと繰り返し尋ねられたこと。もうひとつには、彼らは休日になると都市から砂漠に赴き、そこでのドライブが息抜きになるということ。

日本ではごくごく普通の風景が彼らには通じず、彼らの当たり前の日常もまた容易に共感できるものではなかった。別の惑星に思えてしまうほど自然環境がかけ離れたものだから、それは致し方のないことだった。ただ、言語の壁以上に「風土の壁」というものの高さを感じないわけにはいかなかったのである。

Google Earthと自動運転車が稼働する時代には心配無用なことかもしれないが、陽が容赦なく照りつける砂漠の上は、本来右にいくか左にいくかの選択が生死に直結する世界にある。そこにヒトのための道はなく、そこは風のハイウェイというにふさわしい。太陽に食べられる前に、砂嵐にさらわれる前に、一刻も早く先を急がなければならない。

一方で、日本の多自然な森の中では先を急ぐことの方が危うく、周囲に耳目を寄せなければ判断を見誤ることになる。先の道に意識を走らせるためにこそ一度立ち止まり、冷静になる必要がある。庭に座して沈静する瞑想のかたちも、森の中に意識を張り巡らせるために編まれた方法に他ならなず、環境は身体の使い方から判断基準、価値観、信仰のかたちにまで影を落とす。

異国の者が異国の地で <庭> をつくる。その立場からこの「風土の壁」に向き合うとき、その壁をよじ登ったり切り崩すのではなく、その下にできる限り潜り込むこと。そして、青い星の全域に行き渡った共通のものが、その地でどのように存在し、受け止められてきたか。そのどくとくな流れに根から触れようとする姿勢が問われてくる。

それは庭(園)がいつも基礎とするものに「安心」という状況があり、その状況を場所から発想することが庭づくりに他ならないからである。

森から海へと抜ける川のほとりに生活を編んできた日本人は、いくら生活の拠点が森から里へ、街へと下ろうが、息抜きがてら身体が赴くのは川辺であったり、山中であることが依然として多い。その姿は、時代も景色も随分と変わってしまったが、高台から水辺を見つけ、そこに「安心」を見出してきた遠い森の祖先たちの感覚とほとんど変わらない。

水を渇望する砂漠の地では、地下から湧いた水が湖をつくり、その水辺にナツメヤシをはじめとした樹木が生え、身を休める木陰がある状態。これが原始的な安心のかたち、オアシス(oasis)であろう。

「水」は万物を潤すが、それが上から下に流れているのか、下から上に湧き溜まっているのか、はたまたそこら中に見つけられるものなのか、やっとの思いで見つけてきたものなのか。その状況の歴史によって、おなじものに対する見方や感じ方には想像以上に違いが生まれてくる。

そもそも<庭> はつくられるものであるが、庭師がいつも自然と時間が織りなす「美」に頭をもたげるように、自然がまず <庭> をつくってきたのであり、森の中の水辺も、砂漠のオアシスも、そこに生きる人々によって見つけられた「安心な場所」であった。そこには「原初の庭」の姿が感じられ、<庭> は発見されるところからはじまり、やがて造作されていくものになったことを思わせる。

万国万物に共通の「水」でも、水辺に映る面影はそれぞれに、安心の条件は異なる。砂漠の民の長い歴史の積層の上に立ったとき、山から里へ、上から下へと緩やかに流れる水にせせらぎを感じるニッポンの経験的常識(風土)は彼らのオアシスへと回路を結べるのだろうか。

都市開発のイキオイが世界的に増す中にあって、ヒトと自然のあいだに通路を用意してきた日本庭園が求められる背景を肌で感じると同時に、考えなければならないことも泉のようである。

2025年3月19日 ドバイから帰国後の京都にて

案内人 | 猪鼻 一帆
連レ人 | 星ノ鳥通信舎(編集)