京の庭師。自分がその一端であることを自覚して、研究と実験をコツコツと重ねるべき領域を考えるとき、真っ先に「坪庭」が頭に浮かぶ。なぜか。
一つには、坪庭が京都を震源としていることにある。それも貴族や大名が欲し、作らせたものではなく、民衆が生活の中から求め、創り出したものであることに大きな意味が渦巻く。
坪庭は間口が狭く奥に長い「鰻の寝床」に喩えられた町家の中で、採光や通風などの衛生的な計らいとともに、それぞれの生活の間に合った美のかたちを内内ではぐくんできた。京の生活に独特の風(Rhythm)をもたらしてきた「民衆生活藝術」の一つとして坪庭を見れば、知らず知らずの内に町家が解体されていく昨今、庭師としてここに新たな価値を吹き込むことを考えないわけにはいかない。
二つには、坪庭に庭のエッセンスと日本文化のアソビが凝縮されていることにある。わずか数坪の狭小な空間では物理的に奥行きをつくることには限界がある。そこで坪庭はイメージの広さでそれを越えることを企んできた。目の前の景色に(ここではないどこか)別の景色が忽然と現れるような「想像の引き金」を用意し、人々のイメージ・ワールドを発動させることで空間的限界を越えていく。
この「見立て」による時空の移動は、庭に限らず日本文化に通底する大事な遊び方であるが、坪庭はいつも人間の「想像力」とともに広がっていく空間を見つめ、そこにどくとくと湧き出てくる時間の姿を、小さいながらに大きく考えているとでも言えようか。生活のかたわらにあって、静かに対話をはぐくむ極小の形が坪庭であるとすれば、ここに落とし込まれてきた先代たちの企みを読みつつ、今日(京)の庭師として新たな試みを重ねないわけにはいかない。
三つには、おそらく坪庭的空間は自然には決して造作することができない類のものではないかという小さな自負にある。そもそも野生の自然界は坪庭的空間を必要としないといえばそれまでだが、坪庭には一定の広さをもった庭に向き合う際の「自然を手本に、自然を取り込み、自然の乞わんに従う」ことだけでは太刀打ちできない側面が少なからずある。
なぜならば、坪庭は庭の中でも最も閉ざされて、開きたがっている空間であり、心を遊ばせるためのサイズ感をいつも問いかけている場所だからである。内を守りつつも、外と繋がっていたい。ここを秘めつつも、ここに誇りをもっておきたい。あまり喋りすぎずも、ちゃんと語っておきたい。坪庭はそういう希望と不安や、本音と建前を同時に抱える人間に寄り添うものでなければならない。つまるところ、「人間味を閉じ込め、開放する場所」として自由自在でいなければ、坪庭はおぼつかない。
京都の「町」の中の「家」の中に生み落とされてきた特異な空間が、人間・庭師としての造形思考や技芸を刺激し、揺さぶる。庭園の限界から自然を考えることができるように、自然の広大さからその対極にある小さな庭園を考える。その応答の繰り返しの中に、人間文化としての「庭」の呼吸があると思う。
京の町に育てられてきた庭師から言えば、坪庭は人と文化と町に細くて長い光と風を送り続ける「生活の魔法」である。
2025年7月11日 坪庭を夢創する資材場にて
案内人 | 猪鼻 一帆
連レ人(編集)| 星ノ鳥通信舎