五、植物ノ楽屋

山の中の楽屋で演者たちが控えている。
アオダモ、イロハモミジ、ナンテン、ドウダンツツジ、シャクナゲ、キチジョウジソウ、ヤブラン……. 平たく広がることを好むものから鋭利な構えを崩さぬもの、常に緑を絶やさぬものから色づき散るもの、妖艶な花を咲かせるものまで、さまざまだ。彼らは庭に下る日を待つ山中の縁者たちである。

作庭前、庭師は設計図を片手に、彼らとのお見合いに植木屋に出向く。お見合いといえど、庭師と植物が契りを結ぶためにお忍びで行われるお食事会のたぐいではない。庭をつくるお施主の代理人である庭師が、お施主の「よすが」となれる植物を選りすぐらなければならない。だから、ただ庭師の好みの趣くままに、とはいかないばかりか、ときにはお施主の子どものように可愛らしく、ときには代弁者のように頼もしい存在になれる植物たちを、その組み合わせを含めて目利きし、庭に引用しなければならない。

庭に植物を「引用」するとは聞き慣れない表現だが、四季のリズムで移ろう庭に、我が心が意図せず反響し、透けるとき、そこでは不動の石とは対照的な姿でたゆたう植物が「波動」となってはたらきかけている。「静」に対する「動」の作用だ。植物の振る舞いや生き様を借りて、庭は律動(リズム)を手にする。その拝借の意を表して「引用」という言葉を当てるところである。ただ、引用といえば、人間に負けず劣らずの威勢を放つものたちが選抜されていく世界をイメージしてしまいそうになるが、決してそうではない。建築とは異なり、多様な生きものたちで構成される庭では、むしろ弱くて、脆いものの存在が、時には力強い支えとなることがしばしばある。

お見合いの前にあって、設計図の中には植物たちの仮の住所が所狭しにプロットされている。お目当てとなる植物の目星はだいたいつけてあるという格好だ。しかし、それはあくまでも「種」としての植物のリストであり、同じ種でもサイズ・表情・気色・佇まい、これらすべてが粒違いである以上、実際に彼らに会うまでは分からないことが多い。こうなればお見合い感が増してくるわけだが、見合いの途中に予定外のものに目移りし、意を奪われ、しまいには連れて帰ることだってザラにある。

山中で縁者たちを育てる植木職人に案内され、起伏に富んだ山道を歩く。ここは庭植物の楽屋だ。『あの子は肝が座っとります』、『あの子はちと自我が強すぎます』、『もう少し腰の低いのはおりませんか』、『あの子は随分苦労してきたんだと思います』、『幸が薄い割に惹きつけられるものがあります』…こんな調子で庭師は縁者たちと向き合っていく。お施主が庭舞台の脚本家で、植木職人が舞台美術を担うのであれば、庭師は舞台監督であるかのように、植物たちの個性を見極め、庭における役目を振り当てていく。

庭に着陸した植物にも、それぞれが積み重ねてきた年月と故郷がある。そして、それらの時間の痕跡はそれぞれの形態(かたち)となり、その腹には物語を宿している。庭という舞台を監督する庭師には、移住先となる庭の中で彼らの歴史を引き継いでやる使命がある。それぞれの個性をあつめ、かさね、むすび、あわせ、お施主や庭を訪れた者のこころに、ここぞとばかりに寄り添うための身構えを庭全体に演出しておくことが求められる。

ただ存在感の強いものが独立していれば、ただ肝が座っているものが自立していれば良いというわけではない。大きいものが小さいものに支えられ、右に傾くものが左に傾くものと出会い、か弱そうな部分がじりじりと全体を驚かす。本来、ベツベツでバラバラの個性をもったものたちが空間を共有する「庭」を”不自然な自然”と呼ぶこともできるが、そこではフラットな関係性が大原則だ。同じ床で別々の夢を見るように、それぞれの出自をもつものたちが、緊張と安心を紙一重で分かち合いながら、ここを支え合う。それが多様な生きものたちでつくられる庭舞台だ。

庭文化をはじめ、歴史ある伝統的なモノや文化を前にしたとき、その表面に現われる美的な部分だけを目で掬いとり、納得してしまうことがしばしばある。しかし、文化の表舞台の背後には、いつも裏舞台としての「楽屋」がある。庭文化が花開いた京都にも、その思想や発想、素材のひとつひとつを見れば、京の外に、山の向こうに、源流としての「楽屋」をもつものが多くある。

文化を維持するも更新するも、それを支える楽屋に活気があってのことだ。庭の上流である山中は植物たちの楽屋。そこで縁者たちを育てる植木屋は彼らの親。そこから預かった子に花道をつくるのは庭師。それを我が子のように愛しむのはお施主。庭は山中から胸中まで、ゆっくり、深く、漂う、不思議なもの。

案内人 | 猪鼻 一帆
連レ人(編集)| 星ノ鳥通信舎