京都・大原に〔古知谷〕の名で親しまれる阿弥陀寺がある。本堂の縁側に足を伸ばし、朝の陽光をゆっくりと浴びたのはいつぶりだろうか。隣にはニューヨークから京都を訪れたアリソンがいた。
戦後から現代にかけての日本美術を扱うギャラリーを主宰する彼女は、パートナーであるアーティストのマーティンとともにNYで苔庭を造っている。今回はそのふたりのために、日本庭園の「美」に素材レベルから景色レベルでふれるためのスタディツアーを企画した。
十一月の中旬、京都は秋色に染まりはじめていた。観光客でごった返す嵐山にステイするふたりを連れ出すように、まずは大原の阿弥陀寺へ。ここには、わたしの庭づくりの指針にもなっている、庭の時間軸を共有するための〔山道〕がある。
自然が作為を覆いかぶす。人の手によって作られた〔道〕が時を重ねるごとに成熟し、人が創ったものなのか、自然が成したものか、そこが判然とせずあいまいになっていく。〔庭〕は自然のカサネ・アワセをあらかじめ期待するところに育まれていくことを、本堂に続く六百㍍の道を通じて共有したかった。
苔と石に目がないふたりの足どりは面白いほどに悪い。あちこちに自生する多様な苔のいちいちに腰を落とし、石碑や石燈籠にはすかさず意味を尋ねてくるため、こちらも思わず、石燈籠のシェープに「花魁」としての女性の立ち姿が引用されている話まで持ち出して、道中の対話を楽しんだ。
黄金比を手軽に計るためのフィボナッチケージを肌身離さず持ち歩いていたマーティンは、美しい光景に出会うたびにそれを視線の上に持ち出し、その構図を確かめていた。それを借りて数理工学者の気分になったわたしも、普段は感覚として捉えている〔間合い〕を別の角度から見つめてみたりした。
日本庭園のなにが彼らの心を打つのか。ふたりの場合はその〔間〕を凝視していた。日本独特の〔MA〕がいったいどこからくるのか。まるで〔MA〕の奥にひそむ魔物や魔法を探しているようだった。その勢いにわたしも感化され、昼食で立ち寄った蕎麦屋のカウンターの上では、小皿やコップで石組みを模し、そこにフィボナッチケージをかざした。
昼食後は大徳寺を散歩し、そのまま龍安寺の近くに構える石材屋・北山都乾園へ。自然に転がる山石や川石に触れた後にここを訪れることで、日本庭園の源流としての〔山〕や素材としての〔石〕に対する理解や感度が一層はたらくと思ってのことだ。
それぞれの石には産地があり、また作り手や元の使い手がいる。つまり、その一つひとつの色・流れ・かたちに「物語」があり、石屋はそれをあまねく庭師に伝えることによって、「モノ」としての石が「カタリ」を失わないまま、次なる居場所と出番を見つけられるように世話をする。
石の出自から次なる場所まで、その前後の文脈(context)を読みながら、それぞれのモノ・ガタリを丁寧に流通していくこと。それによって、モノとともに心まで時代を越えて受け継がれていく経路(Traceability)を確保する。庭園に限らず、この引き継ぎの「型」として、歌も花も能も茶も〔道〕を用意してきたのではないだろうか。
ふたりを案内している際、隠れキリシタンが秘かに信仰を続けるために用いたとされる〔織部燈籠〕の前で全員の足が止まった。国内では茶庭に好んで使われることが多いこの燈籠も、今日みたいなご縁を機に新たな文脈が生まれ、海を渡っていく日が来るのかもしれない。
野点でお茶と干菓子をふるまい、一服した後は最後の地・龍安寺を訪れた。石庭に入るやいないや、マーティンはすぐにスケッチをはじめ、「三尊」の美の方程式を確かめていた。その後、わたしたちは身を寄せ合いながら庭の前に座り、お互いの深層を丁寧に取り出しながら、ただただ会話にふけった。
日が暮れかかり、お互いの顔もぼんやりとしてきた薄暗さの中、アリソンが「日本庭園は陽気なものではなく、どことなく淋しいものよ」と言葉を漏らした。
日本庭園がどこから来て、どこへ向かうのか。彼女は人間のか弱さから〔庭〕が生まれ、それはものさびしい〔心〕に寄せられていくことを察知していた。どうやら彼らのフィボナッチケージは、心中にまでやさしく当てられているようだった。
秋の夜ゆえの哀愁ただよう中、お別れをした。
[ STUDY TOUR ]
Time:2025年11月17日(月)
Visit spots :
− 古知谷 阿弥陀寺 Kochidani Amida-ji
− 大徳寺 Daitoku-ji
( Lunch / 五 いつつ Wakuden)
− 北山都乾園 Kitayama Tokan-en
( 野点 / Outdoor tea ceremony)
− 龍安寺 Ryoan-ji Temple
案内人 | 猪鼻 一帆
連レ人 | 佐伯 圭介(星ノ鳥通信舎)